Kanazawa Jazz Days

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ジャズを中心としたレコード/CD、登山/渓流釣り/ランニング、金沢の日々の暮らし

秋元雄史:おどろきの金沢(2017)まんまと釣り上げられた

 

おどろきの金沢 (講談社+α新書)

おどろきの金沢 (講談社+α新書)

 

ボクは金沢に住んでいるが、金沢の人間でない。大阪からやってきた。

ココで云う金沢とは、城下のことであり、そもそも現住地は金沢城下から外れた丘陵地。金沢市であっても、多分、金沢からは外れる。そのような狭く、また深い場所にあるのが金沢、に違いない。ボクには見えないし、知らない場所。まあ、知る必要もないが。

そのような金沢の中心地に入った東京人の話、が、この本の装いで、スパイスのようなもの。彼から見た金沢は、ボクが見たことのない金沢。その金沢話が実に面白い。だから味付けが美味しく、サクサク読むことができる。出張の移動中に読み終えた。あっと云う間。

ボクも8年くらい金沢に住んでいるが、未だほとんど金沢の人との接触はない、あるいは薄い。少し話しをする「地元」の人は、小松だったり加賀だったり能登。ニアミスで城下から外れた人。全くゼロではないが、彼らは何処に隠れているのだろうか?

普段からそう思うことが多いので、知らない金沢城下の様子を教えてもらったような感じ。

そんな表層的な話はともかく、この本が魅力的なのは、巧妙な「現代アート」解説本になっていること。作家の紹介でも作品の紹介でもない。しかし、金沢というものに我々の保守的な感覚を代表させ、「現代アート」の意味を著者の肉体的な動き、のなかで知らずの内に擦り込む、サブリミナル的な本じゃなかろうか。さらには彼が推進する工芸についても。そんな意味で、金沢という奇妙な容れ物を使って、現代アートや工芸を美味く収納した初心者ガイドブック。

ボクは21世紀美術館現代アート」には違和感が強い。だから実はあまり出かけることはなかった。ボストン、シカゴ、ニューヨークなどの美術館でmodern art(主には絵画)なんかは楽しめるのだけど。金沢では、展示物のcontextのようなものが、すっと入ってこなかった。それが一回目の出会いで、だからその後、展示はあまり見ていない。

 最近聴いているimprovised musicの類い、を聴いていて思うことは、あの無機的とも云える音、人によっては間違いなく雑音、が音ととしての面白みに(自分のなかで)変容するのは、音が含む様々なcontextが何かの契機で飛び出し、自分の脳内を駆け巡る瞬間。概して、CDでは分からなくて、目の前の奏者と空間・時間を共有して、そのcontextを知る、ような感じ。一旦、それを知るとCDを聴いても、なんとなく分かるのである。

この本が教えることは、現代アートもまさにそのような現代音楽(広義の、improvised musicなどジャズ起源も含め)と同じ特性を持っていて、観る側の体験、とより深い関わり、 を志向している、と理解した。

この本で知ったことは、彼らが指し示す現代アート」は、美麗なカタログから飛び出して壁に張り付いている二次元的な絵画ではなく、作家の営みとの関わりで、時間や空間を含有したもの。だから、さらにそのような「現代アート」を如何に、美術館(それがハードではなくソフトである、ということも知った)という形にコンパイルするか、そのあたりの奮闘が実に面白かった。

結論として、何となく現代アート」に触れてみようか、と思ったところが、作者の罠であることに、後で気がついた。しまった。金沢はあくまで疑似餌。まんまと釣り上げられた、という気分になった。作者は渓流釣りの名手、でもあるのだ。

ついでに書くと、このような釣りの名手を釣り上げて、養殖してしまった金沢の(当時の)山出保市長という豪腕への、楽しいオマージュの本でもある。

追記:

本人の写真がアチコチに掲載されると事前に知り、作家の五木某のような自己陶酔形(遠いトコロを眺める横顔、)のポートレートかと思い、楽しみにしていたが、どれもいつものとおりの姿であった。