Kanazawa Jazz Days

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ジャズを中心としたレコード/CD、登山/渓流釣り/ランニング、金沢の日々の暮らし

畑村洋太郎:技術大国幻想の終わり これが日本の生きる道 (2015、講談社現代新書) 技術大国、であったか?

 

 ボクは電気系の技術者であり、先端的な技術、製品に関わった過去、から感じることを少し。

 この本に書いてあるように、1980年代後半から1990年頃にかけて日本を席巻した「技術大国幻想」は失われた20年を経ても、未だにその残滓が至る所にある。電気系で云えば、シャープが台湾系企業に買収され、半導体大手のルネサスエレクトロニクスが実質破綻し国に救済されたり。また通信系装置メーカとして世界を席巻したNECもその面影はなく、半導体で闘う東芝粉飾決算で財務の見通しが厳しい。それが日本の実力である。

 現場の技術者感覚で云えば、半導体の生産技術、パソコンやヴィデオ装置の生産量で世界トップに立った事実はある。しかしながら、それを支える電子・電気技術の多くは、当時であっても米国優位であり、我々技術者はそのキャッチアップに務めていた訳である。

 根拠のない「技術大国幻想」が如何にメーカーを保守化させ、技術革新の担い手である技術者の足を引っ張ったか、である。1990年代後半から2000年代において、日米の半導体メーカーを比較すると、設計者の能力、マネージャの能力は米国の方が遙かに高く、同じ規模のプロジェクトへの配属人数が数倍違う、のを目の当たりにしていた。だからスピード感が全く違うのである。当の破綻した半導体メーカの社員はこれを分かっていない、のではないか。要は、厳しく学び、厳しく働くしか解はないのである。

 そのような技術現場に対する提言が本書。とてもわかりやすく、そのような日本の厳しい状況を認識するには、良い書である。

 本書に書かれていない、より厳しい現実は、日本の技術メンタリティが巨大システムの構築に向かっていない、点にある。システムLSIを中心とする半導体事業の崩壊、通信機器市場における日本の絶対的な退潮は、システムの巨大化による。ここで云うシステムの過半はシフトウェアである。ハードウェア技術については相対的な優位性は未だ保持しているが、付加価値に対する占有率が絶対的に落ちてきている、ということである。米国あるいは中華系企業が優位なのは、この点である。

 現在、優位性を保持している自動車分野においても、自動車がEV化するとともに、自動車自体が「高度に自動化された交通システムの下位ハードウェア」となった場合、現在のような付加価値を得ることはできない。きっと自動車メーカも強く意識している、と思うが。

 このようなシステムの巨大化に日本人が適さないのでは、と改めて思うのは、第二次世界大戦下での総力戦が全く非合理な運用がなされたこと、福島での原発事故が電源の冗長系設計の瑕疵によること、による。日本陸海軍、東京電力、ともに日本の優秀層が集った集団である。それが、あの状態なのである。

 改めて第2の敗戦たる今、畑村先生の本のような、焼け跡からの再起を促すような議論が必要だと思う。