Kanazawa Jazz Days

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ジャズを中心としたレコード/CD、登山/渓流釣り/ランニング、金沢の日々の暮らし

沖 至: 幻想ノート(1975) リアルなフリー・ジャズと詩の朗読だけど

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 登山中に届いていたLPレコード。リアルなフリー・ジャズと詩の朗読のアルバム。実は、詩の朗読についてはECMのSPシリーズで独語の朗読は聴いたが、日本語の詩の朗読ははじめて。ちょっとイワモノ感があるので、手を出してこなかった。白石和子とか。そんな訳で、おっかなびっくり針をレコード盤にのせた。

 詩はB2のみ。あとはかなり主流派に近いフリージャズ。何よりもビートがはっきりしていて、聴きやすい。まず田中保積のドラムが何だかファイヴ・スポットのブラックウェルに聴こえだしたら、 藤川義明はドルフィー聴こえ、ならば沖至はリトルか、という感じ。決して、彼らが模倣をやっている、ということではなくて、その演奏の「位置」がそんな感じ、という意味。抽象的な印象の演奏でなく、肉体から汗が流れるような躍動感。良い意味での期待外れ。楽しく聴かせるアルバム。

 B2の朗読「古代天文台」は全く空気が異なる。ある意味で、「想定したような音と朗読」でありながら、想定を超えるようなコトバと音のinterplay。ボクは耳から聴くコトバはメッセージ性が強く、音楽としてはキツく、苦手。このアルバムで聴く詩の朗読はそうではなくて、コトバを触媒とした「場」を造るものであり、断片的なコトバひとつひとつが喚起するイメエジが、ヴェクトル場のようなものを形成していくような印象。「古代天文台」のようなコトバ、が内なるエキゾティシズムを喚起し、自己陶酔するような詩人の叫びが、奏者達の音を導く。その相互作用を確かに感じる瞬間、驚きを禁じ得なかった。確かに、時間を遡行していくなかで、暗く煉獄のような場に包まれていくような恐ろしさ、を感じるのだ。

確かに、リアルなフリー・ジャズと詩の朗読だけど、詩が呼び起こす情念と楽器が作り出す世界の暗さに、暫し目眩のようなものを感じた。存在感の重さ、に。

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沖 至: 幻想ノート(1975, offbeat)
A1. 黒い鉄ねこ面 4:25
A2. サン・ドニ通りの子猫たち 9:59
A3. エスカルゴ 8:10
B1. ほほえむ南里さん 6:32
B2. 古代天文台 9:12
B3. シーザーとカポネ 5:57
沖至(tp), 藤川義明(as), 翠川敬基(cell, b, p), 田中保積(ds, perc), 吉増剛造(poet on B2)
1975年9月11日録音

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