Kanazawa Jazz Days

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ジャズを中心としたレコード/CD、登山/渓流釣り/ランニング、金沢の日々の暮らし

万博前夜の映画(勝新太郎主演:「兵隊やくざ」と「とむらい師たち」)


 amazonが映画や音楽の配信サービスを行っている。amazon prime (配送が何回でも定額)に入っていると、自動的に視聴することができる。音楽は案外数が少なく聴いていない。映画はかなり多い。古い日本映画がかなり多い。勝新太郎が気になって、観ることにした。

 勝新太郎主演の「兵隊やくざ」と「とむらい師たち」。万博前夜、1960年代の後半の頃、ボクは小学校低学年。その頃の映画。その頃の日本の空気、世相、街の様子が懐かしく、また、今の年齢だから分かること、も多い。この時期は戦争に出征した兵士達が、まだ40代から50代。戦争がリアルな現実、少し前の、であった、ということに思いを馳せた。

 「兵隊やくざ」は関東軍に配置された「やくざ」(勝新太郎)と「インテリの不良兵隊」(田村高廣)の話。荒野に横たわる屍からはじまるが、実際にそのような光景をみた人々が巷に溢れていた、ということを改めて認識した。だから映画の中の描写は、喜劇的な誇張やフィクションがあっても、その空気はとてもリアルに描かれたのではないか。暴力が当たり前の陸軍の下級兵士の姿に、その悲惨さ、よりも、そのなかでも生き抜く庶民の強さ、を感じた。そして、その強さが、今の時代となっては粗野であり、また受け入れられない部分が多いと思う。いつしか、荒っぽさと表裏の強さ、を我々が失ったのは、幸せなことである、と100%思えない不思議な感覚だ。またソ満国境の街にもあった女郎屋(今になって問題となっている)の女性への眼差しもリアルな描写である。あれが当時、そして当時からの連続線での我ら日本国民のcommon senseであった、のではなかろうか。暖かみ、はあれど、である。それを今の時代の人権意識で断じることの意味、を考えてしまった。(結論はない)

 「とむらい師たち」は葬儀ビジネスを巡る喜劇。静謐な「おくりびと」の話と比較すると、時代意識の違い、が鮮明。死がもっと身近、であるのだ。戦争体験者の話が幾つか、でてくる。リアルの死と対面した人々が、死を背を向け走り出すエネルギー、それが戦後の高度経済成長の原動力ではなかったか、と思う。勝は伝統的な葬儀の担い手の息子という設定。失われようとしている、古の時代の死者への思い、とともに生きたいという願望は万博の建設地とともに対比される。我々はメタ万博の世代だ。もう遠い昔の話だ。これも高々50年弱、前の時代との意識の不連続性に驚く。

 明治維新から半世紀も過ぎると大正デモクラシー。高度経済成長期から過ぎた時間の長さ、を改めて思った次第。と同時に、21世紀まで生き延びることはできなかった、勝新太郎の強い個性にも引き込まれた。