Kanazawa Jazz Days

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ジャズを中心としたレコード/CD、登山/渓流釣り/ランニング、金沢の日々の暮らし

Cecil Taylor: Solo (1973) 音の純度


 音の純度を高めていき、それを極限にまで高めると、そこには享楽的な要素は消え去り、たた悄然と音そのものの奔流を眺めるだけになる。確かに、瞬間・瞬間を切り取ると、音の美しさは否めない。しかし、それが時間的に積分され、総体として表れるときには暴力的な存在であり、弛緩のための音楽という考えから圧倒的な勢いで遠ざかる。

 セシル・テイラーの音を聴いたときの印象は左様なもので、山の中でまったく指先ひとつも手掛かりがない垂直のペロンとした壁をみたような感じだった。これを含む何枚かレコードを持っていて、試してみるのだけど、その印象が拭えなかった30年前。

 お正月の間に読み切れなかった新聞を眺めている中で、セシル・テイラーのインタビュー記事があった。京セラの稲森財団による京都賞受賞での来日に応じたもの。とても面白いインタビュー記事で、とくに彼の子供時代の思い出や、セロニアス・モンクへの言及など。テイラーの垂直的な打鍵は、エリントン、モンクからの系譜として語られることがあるのだけど、そのことを思い出した。音楽の身体性、これについても1980年頃から随分と言い古された感はあるのだけど、彼の演奏を聴くと、ある種の限界に臨むような緊張感に納得させられる部分がある。

 さて久しぶりに聴いたテイラーのソロ。相変わらずの厳しさなのだけど、少し余裕をもって聴けたのは、不思議な感じがした。加齢の功か。

 

日経新聞(12月11日)

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Cecil Taylor: Solo (1973, Trio)
   A1. Choral of Voice (Elesion)
   A2. Lono
    B1. Asapk in Ame
    B2. Indent
Cecil Taylor(p)