Kanazawa Jazz Days

Kanazawa Jazz Days

ジャズを中心としたレコード/CD、登山/渓流釣り/ランニング、金沢の日々の暮らし

Pat Martino: We'll be together again (1976) 浅い夢から目覚めた朝

Pat Martino:  We'll be together again (1976, Muse)
   1. Open Road: Olee/Variations and Song/Open Road  
   2. Lament
   3. We'll Be Together Again
   4. You Don't Know What Love Is
   5. Dreamsville
   6. Send In The Clowns
   7. Willow Weep For Me
Pat Martino (g), Gil Gold Stein(el-p)

 ボクはよく分からない街を歩いていた。降り注ぐ光の明るさから、湿度が低いように感じられ、その場所が金澤じゃないことはすぐに分かった。雑踏の中から手が伸びてきて、ボクの腕を掴んだ。ぎょっとして、その手の持ち主をみたが女性のようだ。顔は見えない。

 そしてボクの腕をまくり上げて、1cm角くらいの小さなシールを上腕に貼りつけた。ボクが何をするのですか、と聞くと、献血をお願いしているのです、と冷たい声が返ってきた。やはり顔は見えない。

 ただそれだけの浅い夢から目覚めた朝。足元が冷たくなっていることが気になった。いつものことだけど、夢の記憶の残滓は時間とともに不思議なくらい消え失せる。これを思い出したのは、仕事場に出勤したら赤いノボリが風でバタバタ鳴っていて、献血受付中と書いてあるのが見えたから。真紅に白抜きの文字が背景の深い蒼空に映えていて、それをみた瞬間にあの夢の冷たい声を打たれたように思い出してしまった。あの冷たい感触は何だったのだろうか。

 そんな乾いたような冷たい感触が上腕から首筋にまとわりついたような一日を過ごしている。気色悪い。そんな借り物のような身体感覚のなかで、なんとなく聴いているのはパット・マルティーノのWe'll be together again。70年代中盤のフュージョン(クロシオーヴァーと云われてたけど)隆盛の頃に、そっと奏でられたギル・ゴールドスタイン(案外好きな奏者)のフェンダー・ローズとのデュオ。

 パット・マルティーノというと,高速の指さばきで正確に刻みあげ、畳み込むようなプレイ。だから音の洪水のなかで押し寄せる昂奮に身を任せるような快感がある。そして、それを求めて聴いているようなトコロがある。だけど、このアルバムは音数が少なく、音と音との隙間に気持ちを込めるような、マルティーノらしからぬ感じ。しかし、ジム・ホールのように洒脱になるわけでも、ケニー・バレルのようにブルージーになる訳でもない。時として早く刻みつける音で弾みをつけて浮かび上がったり、音と音の行間で深く深く沈んでみたり、そのような状態遷移をゆっくりと繰り返している。ゴールドスタインのやはり音数が少なめのフェンダー・ローズとあわせた、浮遊大会のような趣。とても好きだ。

 だから今日のような夢の残滓が浮かび上がったような日の気分にはぴったりなのだ。それにしても、このアルバムの暫く後に、マルティーノは脳の疾患ですべての記憶、ギターのことまで、を忘れたそうだ。その後の奇跡的な復活は凄い。同時に、そのような状態から目覚めたときの感触はどのようなものだったのだろうか、と気になってしまう。長い長い、そして浅い夢から覚めたような感触なのだろうか。We'll be together again という示唆的なタイトルなのだけど、ゴールドスタインとはその後共演しているのだろうか。そんなことも気になってしまった。

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