Kanazawa Jazz Days

Kanazawa Jazz Days

ジャズを中心としたレコード/CD、登山/渓流釣り/ランニング、金沢の日々の暮らし

金澤・長町「オヨヨ書林せせらぎ通り店」 朝方に帰ってきてから


 彼の地から、朝方に帰ってきた。日曜の午後に大切な用事があったので仕方がない。早々に済ませて、金沢駅まで出た。なんとなく金澤でゆっくりしたかったので、まずは駅にある「黒百合」で一杯。夕餉の時間までまだ随分あったので、日曜のそんな時間で思い出すのは更科藤井とか黒百合しかないからね。藤井は一週間前に行ったから黒百合へ。列車の時間にあわせて潮が満ちたり引いたりするような店内のざわめきが面白く、随分といろいろ食べてしまった。きもちよし。

 そのあとは犀川南の安借家まで歩くことに。夕暮れで真っ暗。雨が降ったり止んだりの金澤は湿気でもやっとしていた。路面には水が流れ、街路灯のひかりも黒く流れていた。20分ほど歩くと尾山神社の前に出るので、そこから曲がって長町の「オヨヨ書林せせらぎ通り店」へ。鞍月用水沿いの通りを「せせらぎ通り」というそうだ。古い町屋の土間に本が並べられている古書店で過ごす時間はゆっくりしていて、とても楽しい。並ぶ本も面白いものが多いから。とてもツボを押したような選書。

今回買った本は以下のとおり。まだ読んでいないので、ちょっとしたメモだけ。

(1)福本和夫:私の辞書論(1977、河出書房新社

 背表紙をみて驚いた。あの福本和夫。大正末の非合法共産党のリーダ。早々に失脚して、その後に随分長く監獄にいたヒト。学生の頃に立花隆の「日本共産党の研究」を読んで、その名前を知ったのだけど、その頃にまだ存命で、しかも多くの著書を出版されていたとは知らなかった。遙か彼方の過去のヒトだと思っていたのだ。だから背表紙をみかけてビックリして手にした訳。帰宅してからのwikiで、その後の動静を知ることができたのだけど。実は思わぬところで福本和夫の名前にびっくりしたのは2度め。10年程前に疑獄事件で名前が挙がった福本邦雄が福本和夫の長男と知って、「表舞台裏舞台―福本邦雄回顧録」を手にしたのだけど実に詰まらなかったことだけ記憶に残っている。

(2)ファン・ゴイティソーロサラエヴォ・ノート(1994、みすず書房

 30年以上前のことだけど、ようやく知れてきた共産主義国の過酷な状況との対比のなかから、政治的多様性を容認したユーロコミュニズムが左翼の潮流のようにみえた。そしてチトーの旧ユーゴスラビアも緩やかな社会主義のように喧伝され、ブレジネフのソ連文化大革命実相に幻滅した「左なヒトタチ」を惹き付けていたのではなかったか?そんなことはともかくとしても、1980年代に読んだ本では、セルビアベオグラードから南下してバルカン半島の深部サラエヴォに入るとミレットが並び、モスクで礼拝する人々の話が出ていた。その印象が与えるエキゾティズムにクラッときてしまった。郊外に広がる穏やかな農村風景とともに。1984年に冬期オリンピックなんかもあったしね。その後の悲惨な内戦の話しは眼を覆うばかりなのだけど、そのときの話しが書かれた本。ずっと気になっていたこと。

(3)中沢新一:ミクロコスモスI(2007、四季社)

 中沢新一は出鱈目なのだと思う。だから面白い。ボクは一つのフィクションとして、彼が語り続ける「物語り」を読んでいる。だって「チベットモーツァルト」に書かれていることが学究生活の成果ならば、新たなオーム真理教へのガイドブックでしょ?あれが彼の内面の「物語り」であり、その限りにおいて「ある種の真実」が含まれることは何ら否定しないのだけど。だから、「物語り」だと思えば、その飛び跳ねる力は並の小説家以上で、なかなか面白い世界まで連れて行ってくれるのだ。ボクはミクロコスモスというタイトル、バルトークの曲じゃなかろうか、が好きだ。技術屋の仕事もミクロコスモスであり、顕微鏡で拡大したような細かな世界にコスモスを見ることができるか、それが技術屋の良し悪しを決めているのだと固く思っている。微細な差異を識り、コスモスを見ることができる者にのみ「語る」ことができるコトがある。そんなコトバのイメージがあるから。さて、この本からどんなミクロコスモスをみることができるのか、出鱈目な期待が高まっている。

(4)尾崎喜八:山の繪本(1938、朋文堂)

 尾崎喜八は大正期の浪漫派(っぽい)詩人。昭和に入ってからは山の本で著名で、戦後は串田孫一の雑誌「アルプ」で執筆されていた。高踏的な文章が魅力的。その方の初版本じゃないのかな。装丁がボロなのだけど、中身はしっかりしている。内田百�フもそうなのだけど、この手の文章はなるべくもとの文章の方が嬉しい。仮名遣いとか漢字が。彼らの本はさして中身はないのだけど、薫り高い文章を楽しみ・読むものだから。仮名遣いとか漢字を替えると、文章の韻とか視覚的な印象が変わるからね。だから、この本をみかけたときは小躍りしてしまった。木の床がぎい、と鳴ってしまった。

以上のお買い物が全て一冊500円。全部で2000円。小一時間の背表紙閲覧だったのだけど、その薄暗い雰囲気(agingで眼が弱っているから、そう思う)とあわせ、楽しく過ごした金澤の夜だった。

 そとに出て、薄暗い鞍月用水の流れ沿いに歩く時間が好きで、たまには此所に来るのだ。そうこうしている内に雨の中、月が出てきた。だから金澤が好きなんだなあ。