Kanazawa Jazz Days

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ジャズを中心としたレコード/CD、登山/渓流釣り/ランニング、金沢の日々の暮らし

佐竹昭広「古語雑談」(1986年,岩波新書):豊かな古のコトバの海に潜ると見えるモノは..


理系といいつつ,長らく商売をやっていて思ったことは,「コミュニケーション力」なるモノを身につけるためにコトバの摩耗が急速に進んでいること.英語なんかは典型的だけど,国際ビジネス標準語の利をとって,普段のコトバの摩耗を急速に進めているような感覚がある.ボクら辺境のヒトタチも気兼ねのいらない,市場の楽なコトバ(ピジン言語)になっている.日本語だって,プレゼンテーションやコミュニケーションなんてカタカナ英語の弊で,急速に摩耗し,とても分かりやすくなっている.含意がなくなってきている.典型的な理系生活のボクにとって快適な筈の世界.だけど,味がなくなってきている違和感がつきまとう.

佐竹昭広「古語雑談」(岩波新書)というコトバの本がある.二十数年ちらちら眺めても,まだ飽きがこない楽しい本なのだ.古語の話は,ときとして現代人があたりまえに思っている世界や論理構造に不意打ちを食わせることがあるように思えて,まさに,この本がそのような内容なのだ.絶版だと思って,威張って紹介しようと思ったのだけど,実は平凡 社ライブラリーから復刊されていることが分かってびっくりした.内容を少しだけ紹介:

i)玉響
万葉集柿本人麻呂「玉響昨夕見物今朝可能恋物」の玉響がどうも『たまゆら』とは読まなず『たまたぎる』ではないか,という話.「たまゆら」であれば「たま」が当たって発する音の意.「たまかぎる」は「たま」が照り輝くの意.だから,玉響は「音」をあらわすのではなく「光」をあらわす也と.

関係ないのだけどビルエバンスのヴィレッジバンガードセッションに心引かれる理由が皿やグラスの音が作る空間,と思うときがある.古語雑談を眺めると『たまゆら』の『ゆら』はものの接触音の擬音語と.なぜかエバンスの録音を想い出した.『たまたぎる』だと,違う話なのだけど.

ii)黄色
古来日本には黄の概念はなく広く青に包含されること.その残滓が今の日本の方言にもあること.古事記を読んで,それを指摘したのが,明治期のアイヌ研究でも有名なチェンバレンだった,ということ.


iii)ランダとケダイ
この本のなかに『懶惰』という言葉がある.『ランダ:明日ノ所作ヲ今日成ス』と云って怠け者の一種.先送りの怠け者である懈怠(ケダ イ:今日ノ所作ヲ明日成ス)と,ともに今日を放棄する意味で同等だそうだ.随分と『懶惰』な人生だったような気がする.